「木」へのこだわり「木」を巡る対話

「原産地(林業事業者)」との対話広葉樹の森から考える
昔と今の「よい木」

雪道 雪道

森林資源の持続的な利用が求められる現代において、北海道で3代、90年以上にわたり、地元産の木材にこだわってきた製材会社、三津橋産業。カリモク家具の家具づくりを長年支えてきた同社の社長、三津橋央氏と娘の佳奈さんに、道産材の課題と未来についてお話をうかがいました。

三津橋 央

三津橋産業株式会社 
代表取締役

三津橋 央 氏

Hisashi Mitsuhashi

三津橋産業代表取締役社長。1980年、祖父の代から続く三津橋産業に入社。事業を通じて森林環境や地域社会に対して貢献することを考え、後進にもその精神を伝え続けている。

三津橋産業代表取締役社長。1980年、祖父の代から続く三津橋産業に入社。事業を通じて森林環境や地域社会に対して貢献することを考え、後進にもその精神を伝え続けている。

坂井 佳奈

三津橋産業株式会社

坂井 佳奈 氏

Kana Sakai

央社長の次女。2015年に三津橋産業に入社。北海道の森林と道産材の将来を担う世代として責任感を持ち、仕事に向き合っている。

央社長の次女。2015年に三津橋産業に入社。北海道の森林と道産材の将来を担う世代として責任感を持ち、仕事に向き合っている。

創業1930年。
北海道に根差し、道産材にこだわって歩んできた

――三津橋産業は創業から100年近くになりますね。これまで、どのような歴史を歩んできたのでしょうか?
央氏:1930年に北海道雨竜郡幌加内町で祖父の三津橋泰次郎がおこした材木屋が三津橋産業の始まりです。この地に根差し、道産材にこだわって木材業を営んできました。祖業は山で木材を伐採し、枝を伐り、適度な長さに丸太をカットする造材や、伐り出した丸太である原木を輸送する仕事でした。その後は、原木をスライスする製材や、細かく砕くチップ製造などに仕事を拡大してきました。私は3代目。1980年に入社してから、もう45年が過ぎようとしています。
創業当時の幌加内町周辺だけでなく、士別市、旭川市、富良野市といった上川地区は、広葉樹の優良な産地で、国有林や北海道大学の演習林もあり、ナラやマカバなどの良質な広葉樹に恵まれていました。三津橋産業も、こうした豊かな恵まれた森林を活用してきました。
――森林の豊富な北海道で、林業や製材業が栄えていったのですね。
央氏:そうです。高度経済成長期は海外からの需要が旺盛で、広葉樹はヨーロッパや北米に向けて大量に輸出されました。今でもフランスなどに行くと、古い住宅にはナラでできた大きなドアや階段がありますが、少なくない数の門が北海道から輸出されたナラでできています。当時は当社への引き合いも多く、北海道の林業全体に活気がありましたね。当時は、製材工場を保有している企業には国有林から優先的に良質な丸太を供給してもらえるという仕組みもあり、当社も国有林から一等、二等、三等といったグレードの高い広葉樹の原木をたくさん仕入れることができたんです。
ところが、今は当時のような良質な広葉樹は採れなくなってきました。

雪が積もった木材

木製家具の原材料、
「広葉樹」を巡る時代の変遷

――昔は豊富だった良質な広葉樹が、今はなくなってしまった。それはなぜですか?
央氏:主要因は過剰伐採による、資源の枯渇です。当時はまだ持続可能性への理解が乏しかった時代でした。1990年代頃から、北海道の広葉樹の伐採量は急激に減り始め、道内の製材所でも、道産材から輸入材へのシフトが起きました。そんな中、私たち三津橋産業はずっと道産材にこだわり続けてきました。
――道産材にこだわり続ける理由はなんですか?
央氏:北海道の地で林業を行い、持続可能な形で地元の木材を使い続けることに意義を感じているからです。また、この地と共に歩んできた歴史もあり、愛着も持っています。
もちろん海外の木材を使うこともありますが、丸太の状態で海外から船で運ぶため、輸送のコスト・エネルギーが高い。道産材は、原木の量や質は変化していますが、林業では持続可能な形で人が手入れをすることが重要です。北海道内の林業を支えるためにも、我々はこれからも北海道産材にこだわりたいと思っています。

木材
会話をしている様子

日本の多様な生物多様性を尊重する。
山を「本来の姿」に戻すために

――日本は森林面積が高い国と言われますが、どの程度なのでしょうか?
央氏:日本は国土の67%を森林が占めており、国土における森林率はフィンランドについて世界第二位です(2023年林野庁調べ)。森林には、地球温暖化防止、水源涵養、生物多様性の保全などの役割があり、住んでいる場所に限らず、みなさんは森林からの恵みを受けています。林野庁を中心に、林業振興のための政策や、放置林の管理強化も検討・実施されています。 日本人は古来より山に親しみ、里山という独自の文化を形成してきました。
林野庁の基準では、人工的に植林された木が半分以上でないと人工林とは言いません。しかし、日本国内に、完全に人の手が全く入っていない森林は、白神山地などの本当に一部地域のみで、ほとんどの場所は人が手を入れている森林です。
――なるほど、古来から日本人が森と密接に関わってきていたのは知っていましたが、人が足を踏み入れていない純粋な天然林はかなり少ないんですね。
日本は、第二次世界大戦後の政策により、スギやヒノキの人工林が多いです。古来はエネルギー源が薪だったため、薪木に適した広葉樹が多くありました。ただエネルギー源は変わり、住宅用材として重宝されるスギやヒノキなどの針葉樹の方が、将来的に需要が見込まれたためです。しかし、林業は植林してから伐採適齢期になるまで50~100年程かかるため、将来の需要を見越して行う必要があります。近年の日本では木造住宅は少なく、建材の需要も当時より大幅に減っています。そのため、山を所有する山主も、伐採を担う林業従事者も満足な収入が得られないのが現実です。バイオマス発電などでの活用は進んでいますが、満足な収入を得ることは難しいです。
――厳しい現状があるのですね。住宅用材に良く使われる針葉樹に比べて、広葉樹の森林にはどんな問題があるのでしょうか?
日本は地域的な特徴として生物多様性が豊富です。必然的に樹木の種類も非常に豊富であり、日本国内には1,200種類近い樹種があると言われています。中でも広葉樹はほとんど植林されておらず、自生した木が主体であるため、多様な樹種が点在しています。種類が異なれば、大きさも、強度も、木目もそれぞれ異なります。山がちな日本の地形の中で、あちらにサクラが3本、こちらにクリが5本といったように生えているので、伐採するにも効率が悪くなってしまうのです。
――少し伺っても非効率さが想像できます。素人考えでは、広葉樹も植林すれば良いと思ったのですが、そういった取り組みはないのでしょうか?
央氏:広葉樹の植林は非常に難易度が高いです。端的に言えば、広葉樹は活着が難しいのです。成長速度が遅く、下草類との競争に負けたり、鹿や猪などからの食害にさらされたりします。
そのため、天然更新を行うことが多いです。最初に軽いシラカバの種子が飛んできて生え、30年ほどで寿命が来るため、シラカバは腐ってきて倒れ、そこからナラなどが生えてくる。ナラは大きく育つまでには100年以上かかります。もちろん、その間にも間伐などの手入れは行うことが望ましいです。
※さし木・移植などした植物が、根づいて生長し続けること。
――長い道のりを、一歩ずつ進むことが大切ですね。北海道で今、具体的に進められている施策はありますか?
央氏:山の本来の姿である、針葉樹と広葉樹の混合林の形成が進められています。針葉樹は樹高こそ高いですが、根が浅く、土砂災害などに弱いです。また近年は花粉も問題視されています。古来、日本人は針葉樹と広葉樹が混じった針広混交林を作ってきました。今は、針葉樹林を伐採する際に、針葉樹のみを全伐し、広葉樹を残して天然更新を促す取り組みを行っています。根の張り方が違う針葉樹と広葉樹が混生すると土壌の保水力が高まるので、土砂崩れなどの自然災害の防止にも役立ちます。また北海道では、マツばかりを植えてきたために、どんぐりなどの食糧が採れなくなった熊が人里まで降りてくることが問題となっているので、多様な樹種が育つ混合林を育てることは、生態系を回復させるためにも良い試みだと思います。
大切なのは、「山を本来の姿」に戻すこと。林野庁も北海道も、その重要性を改めて認識し始めているように感じています。

木材

―カリモク家具と
三津橋産業―
道産の広葉樹を活かす
信頼の絆

――カリモク家具とはいつから付き合いが始まったのでしょうか。
央氏:私の父の代からで、1960年代頃からと聞いています。かれこれ55年近いお付き合いになります。1989年には、当社のグループ会社だった大成産業(北海道苫小牧市)を共同出資の会社にして、ナラ材の家具用部材の製造を一緒に進めることに。これが大きな転機となりました。
大成産業は低質材を主に扱っていて、幅が狭かったり、短かったりするものが多く二束三文の価格で取引されていました。そんな中で、カリモク家具さんだけは目の付けどころが違いました。その部材のなかでも一定の幅があるもの、長さがあるものに着目し、家具材として使いたいと。優れた木材加工技術があるからこその提案だったと思います。同じ部材でも、家具材ならば価値が高くなるので、大変ありがたい提案でした。
先代の加藤英二社長(現相談役)が林業の現場にも足を運び、自分の目で見て状況を理解し、一緒に色々なお話をしました。有限な木材資源をいかに無駄なく使うか、幅や長さが短くてもそれを「家具用材にできない理由」にせず、「家具用材にできる方法」を考えてくださる。我々の信頼関係は、こうしたやり取りの積み重ねで育まれたものです。
――近年ではどのような取り組みをされているのですか?
佳奈氏:多くの企業は、質の良い木材を求められます。これは質が良い方が製造時の効率が良くなるためです。しかし、カリモク家具さんは、林業の流通過程で廃棄されてしまう材料に注目されます。たとえば、木の中でも樹皮に近い、淡色で柔らかい白太を含む木材を使ったテーブルの天板。白太の部分は、芯に近い赤太との色の差が大きく使いづらいので、昔も今もほとんどの企業は使いませんが、カリモク家具さんは塗装での補正を行って品質を担保しながらデザインとしてうまく活かしてくださいました。
央氏:幅の狭い木材、広い木材とばらつきのある木を合わせて使う技術もあります。木材同士を接着して一枚のテーブルトップにする方法がありますが、幅に違いのある素材をランダムに組み合わせて1枚に仕上げていて、その工夫の仕方に驚きました。幅を同一にそろえることは技術的には可能ですが、幅をそろえる過程で使える資源を切ってしまいます。カリモク家具さんは、その資源を無駄にしないために、ランダムな幅の材料を使っています。同じ資源量でも、カリモク家具さんが使うと家具に使っていただける比率が高まるし、木の個性がより引き立つと感じます。

木材の確認

―道産材を持続可能にするために―
「山に戻るお金」を
増やすことの大切さ

――道産材を使い続けるために、三津橋産業がこれから進む道は?
央氏:長い間北海道の林業に携わってきた三津橋産業としても私個人としても、北海道の自然が育んだ道産材を未来の世代に受け継いでいってもらいたいと願っています。
佳奈氏:三津橋産業には、道産材に愛情を注ぐ若い従業員たちが働いているので、みんなで守っていきたいですね。かつては男性の職場だった林業の世界ですが、今は女性が働くことも珍しくなくなってきました。カリモク家具さんの若い経営陣や従業員の方々とお話をする機会もたくさんあるので、この関係性を次の世代につなげていきたいと私も思っています。
央氏:もう一つ大切なことは、「山に戻るお金を増やす」ことです。森林が減少している今、木や森が大切であることは、多くの人が感覚的に、あるいは知識として理解しているはず。しかし、経済性が伴っていないのが現状です。
林業や木材・建材産業にはかつて、「木材は叩けば安くなる」という考え方がありました。しかし木を育て、森を育むという営みを持続可能にしていくには、人手もお金も時間もかかります。林業を活性化させるためにも「山に戻るお金」を増やしていかないと。それを実現して初めて、持続可能な林業ができると思います。
――そのためには、何が必要だと思いますか?
央氏:木の価値を考え直す必要があると思います。昔から、太くて節もなく、木目がきれいに通った木材が「良質な木」とされてきましたが、それは人間の都合でしかありません。完璧な木材を求めるなら、もはやプリントでもいいわけです。長い時間をかけて育まれた木そのものを受け入れ、自然本来の姿に価値を見出す。今ある木材の価値が高まれば、山に戻るお金が増えます。
そして、その木を使って作られた家具を長く愛着を持って使い続けているうちに、やがて新しい木が育ちます。そうやって自然に敬意を払いながら共に歩むことが、森林を持続可能なものにしていくと信じています。

木材
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